2.ギターを持った渡り鳥
大学に入り東海支部にも参加するようになった僕は、急に忙しくなった。
大学は岐阜にあって自宅から1時間半かけて通っていた。
また名古屋でアルバイトを2つ掛け持ちし、名古屋を中心としたスポーツサークルを主催し、週に3日はタレントのレッスンにも通っていた。
そんな中でも定期的に行われる東海支部でのイベントには欠かさず参加していたのだった。
僕は人が期待する以上のことをやらないと申し訳ないと思うタチで、そんな余計なサービス精神と、何よりも自分が楽しむためにあらゆる手をつくした。
まだこれからブームになる頃のカラオケでは、振り付けで踊り、シャツを脱いで部屋を走り回った。
クリスマスにはサンタ帽をかぶり、「マチルダBABY」のような盛り上がる曲では、用意した数十個のパーティークラッカーを鳴らして部屋中を火薬の臭いと煙で充満させた。
そんな僕の姿をまわりの大人たち(僕から見ればみんな大人だ)は「若いなぁ」と眺めるのだった。
毎年夏お盆の時期には、恒例のバーベキュー大会があった。東海支部の中でも年に1回の大イベントだ。
僕が大学に入り最初の夏のことである。バーベキュー大会のお知らせがポストに入っていた。
僕にとっては初めてのバーベキュー大会を楽しく賑やかなものにするんだ、と一人興奮していた。
8月13日朝9時、三重県桑名市の近鉄桑名駅に次々と支部員が集まっていた。
バーベキュー会場はここからさらに車で40分程行った山の中だったので、車を出せる者は車で駅まで来ていた。
車を持っていなかった僕は地下鉄と近鉄を乗り継ぎ、桑名駅へと向かった。そして集合時間ギリギリで到着した僕の姿を見て、その場にいた人は絶句した。
アロハシャツにビーチサンダル、サングラスに麦わら帽子、おまけにハードギターケースを抱えてさっそうと登場したのだ。
支部の北岡さんは怪訝そうに聞いてきた。
「ど、どうしたんだお前?」
「だって今日は年に一度のバーベキュー大会でしょ」
何がおかしいのかよくわかっていない僕であった。
ただえさえ人と荷物でいっぱいの車にギターケースはとても邪魔者であった。
現地の駐車場からバーベキュー場へは、そこから荷物を持って歩かなければならなかった。
さすがにギターを持っては他の荷物が持てないと思い、ギターケースを隅のほうへ動かそうとしたところで、すかさず横から北岡さんは
「な、そいつだけはここに置いていってくれ、な」
と言った。よほど気になっていたのだろう。
みんなで和気あいあいと楽しみながら、まだ空の明るいうちに山奥でのバーベキューは終了し、山を下りたあと街から近い河原に車をつけた。そこでバーベキュー第二弾が始まったのだ。
徐々に日が沈みはじめ、やがて日が完全に沈むとあたりは闇で、手元にあるランプだけが頼りになっていた。
誰かが花火を持ってきていて、突然の花火大会が始まった。
ふと見ると遠くの空には、どこかのお祭りだろうか本物の大きな打ち上げ花火が見えた。
この時しかない、と僕は車のカギを借りてトランクからギターを取り出した。そして暗闇の中からギターを弾きながら突如として現れた。
「ギターを持った渡り鳥だ」
と誰かが言った。
僕が「みんなのうた」を歌い出すと、それに合わせてみんなが手を振りながら歌い始めた。
バーベキューの炎を囲みながらギターで歌う姿は、まるでキャンプファイヤーでのシングアウトそのもので、これがサザン仲間でなかったら「今日の日はさようなら」や「燃えろよ燃えろ」を歌い、ジェンカを楽しんでいたに違いない。
当然ここではサザンオールスターズ一色であった。
「走れトーキョータウン歌って」
その場のリクエストに応えて歌い続けた。
すべての曲が頭に入っていた僕は、流しのあんちゃんか、もしくは人間ジュークボックスと化していた。
手持ちの花火も遠くの花火も、そしてランプの燃料も尽きてきた頃にも、サザンメドレーだけは尽きる事がなかった。