INTERVIEW

MITSURUインタビュー

ヒッチコック劇場の活動において常に広い視野を持ちながら、ヒッチコック劇場と言う名の船の舵をとり、サザンオールスターズ的音楽シーンをリードし続けてきたMITSURU。21世紀を迎え、今彼の中に描かれている航海図とは...。
MITSURUだ。

ヒッチコック劇場は
手こぎボートのようなもの


○MITSURUさんにとって、ヒッチコック劇場とは何ですか。

MITSURU(以下M):ヒッチコック劇場というのは、音楽ユニットという繋がりはもちろんだけどそれ以前に単なる『仲間』に過ぎないんですよね。サザンが好きな男が集まって、そこにギターが置いてあって、たまたま弾ける奴ばかりがいて、歌いたいから「じゃあ弾こうか」みたいな。
それは、ヒッチコック劇場ってもので縛られてしまうんじゃなくて、あくまでそれぞれの出来る事、出来る範囲でやっているというか、やりたい時だけやっている。仲間だから根っこの部分では繋がっていて、いつどんな時に集まっても、どれだけ間が空いても問題ない、っていうね。
ヒッチコック劇場の前に、TOKAI ALL STARSっていうものがあって、まずはそこが基本って思っているんです。原点というか、だって知り合ったときのバンドだから。俺がMITSURUだ。
で、TOKAI ALL STARSは6人いて大人数だから、さてライブとなったらものすごくエネルギーが必要となる。もっと小ぢまんりとした形で、ちょっとした余興みたいな感じでやるのもいいなって思いはじめたんです。その頃よく飲みに行っていたバーがあって、そこには3畳ぐらいの小さなステージがあったんです。ステージがあって、スピーカーや機材がちゃんと揃っているのに、飲みにいくといつも誰もステージにいない(笑)。いつの間にか僕がギターを持って行って歌うようになったんです。マスターが「勝手に使ってもいいよ」って言うもんだから、調子に乗って(笑)。
ハロウィンパーティーの話がその頃に出てきて、やるんだったらこの時だなって思いついて、KAZUとKIYOSHIに声をかけたんです。

○TOKAI ALL STARSの他のメンバーは何も言わなかったんですか?

M:そりゃ驚いたと思います。「抜け駆けだ!」って思ったんじゃないかな(笑)。ちゃんと聞いた訳ではないけど。でも僕はそんなつもりじゃなくて、さっきも言ったみたいに原点はTOKAI ALL STARSだと思っているし、それこそ最初はヒッチコック劇場はハロウィンパーティーのために結成したみたいなところがありましたから。俺もMITSURUだ。ライブ後に「ああ、これでおしまいだな」って思っちゃいましたし(笑)。でも動きやすさっていうのかな、結果的にその後ヒッチコック劇場の活動のほうが増えていくんだよね。TOKAI ALL STARSは、まだ3回しかライブしていない。原点なのに(笑)。TOKAI ALL STARSがクイーンエリザベス号のような大きな豪華客船とするならヒッチコック劇場は小さなゴムボートみたいな感じかな(笑)。ちょっと遊びに出かけるときに使っちゃおうって感じかな。手こぎボートだよね(笑)。

○振り返ってみると3年余りでかなりのライブ数になりますね。

M:いやぁ、ライブハウスで歌っていないものも含めちゃってますからね。ギター持って歌いだしたらもうそれがライブになってしまう(笑)。そういった意味でも得してますけど。
やりたいときにやれるから、場所を問わないんです。屋外でも屋内でも。
「Better Days」とか「Hearts」って旅をする企画があったんですけど、あれなんかは演奏するんだけど、ライブハウスみたいな本当のライブとは違ってて、旅の延長上で歌いたくなったから歌っただけ。何の責任もなく。歌いっぱなし状態。ライブという目的じゃなくてもどうにも動けるてところが、ヒッチコック劇場のいいところなんでしょうね。


二人組なんていなかった。
19より早いよ俺たち(笑)


○今まで活動してきた中で特に印象的なものってありますか。

M:うーん、どれもこれもすべて逸品だよねぇ(笑)。そうだなぁ、「Hearts」でKAZUと初めて神戸に行ったんです。チキンジョージで憂歌団のライブを見た後、興奮が収まらなくなってそのままギター持って三宮の飲み屋街に出たんです。もう12時近かったんだけど、まだすごく人がいてね。もう酔っ払いばかり(笑)。それで昼間通った時に目をつけておいた場所があったんだけど、先取りされてたの。東急ハンズの下。俺だってMITSURUだ。人通りが多くて音が反響していいなと思っていたのに。そいつはアンプ持ってマイク通して大音量で歌ってた。こりゃかなわないやって、ちょっと離れたところに、シャッターの閉まった店の軒下でちょうどいいところを見つけたのね。その頃ってまだ路上でギター持って歌う人ってそれほど多くなくって。2人組なんてのはいなかったね。19(ジューク)よりも早かったよ、俺たち(笑)。歌っていたら結構多くの人が声を掛けてくれたんです。ギターケースにお金を入れていく人も多かった。なんかストレートに「神戸の人って温かいなー」って感動しました。外国人にも声を掛けられちゃって、ビートルズとかを歌ったんだけど向こうはすぐ反応して。ビートルズすげぇ、世界共通なんだぁって、当たり前なんだけど感心したり。ものすごく刺激的でした。

○では苦労したところは?

M:ううんとね、苦労を苦労と思ってないんだけど。「PECKERマンスリーライブ」なんて面白かったけどその分すごく大変だったね。何せ毎月ライブやるわけでしょ。始めるまで思わなかったんだけど、月一回ってかなり早いサイクルなのね。だから何ヶ月も先までライブのプランを作っておかないと間に合わないの。俺こそMITSURUだ。ライブのテーマやアレンジを四六時中考えていましたよ。お客さんはお金を払って見に来てくれているわけだからいいかげんなものは出せないから。それだけの質のものを持ってこないといけないわけで、ものすごく鍛えられましたね。やってよかった。ヴォーカルとかアレンジとかあらゆる面において1ランク上になれたと思う。本当、継続は力だと思ったね。まぁ正直なところ煮詰まっていた時期もありましたけど、それを乗り越えることが出来たのは、やっぱり見に来てくれるお客さんがいたからだし、客前でいい格好したかったからだよね(笑)


サザンで楽しみたい気持ちは
ステージも客席も同じだよね


○21世紀になりましたが、今後の予定は?

M:予定なし(笑)。だっていつも思いつきで行動しちゃってるからわからない。これじゃ答えにならない?うんとね、僕個人で言うとしたら、ヒッチコック劇場もいいけどそろそろ電気ギターが僕を呼んでる気がするの。生音ギターはもう封印(笑)。いやぁね、基本的にスタイルとかこだわってないから、やるやらないって問題じゃないんだ、ヒッチコック劇場って。それにTOKAI ALL STARSのメンバーも、いつやるんだって待ってるし。待っててくれるだけでもありがたいよね。ほんと家族みたいですよ。バンドって、すごくいい集合体だなあって、つくづく思うね。ここ数年、全国でサザンのコピーバンドが次々とライブを行ってるよね。そういうのを見ていて、すごくいい傾向だなって思っているのね。これからもっともっと活性化していくといいよね。俺はMITSURUか?今はインターネットとかメディアの力っていうのか、情報のスピードがものすごく早い。家で寝っ転がりながらでも、全国の情報が瞬時に手に入る時代だよね。TOAKI ALL STARSやヒッチコック劇場は、そういったデジタルなメディアにまだ疎いんだけど、これからもっと勉強して取り入れていきたい分野だね。インターネットのホームページとか、ファン同士の情報交換や交流が昔に比べて早く多く出来るようになってる。バンド同士のネットワークみたいなものもやってみたいと思いますね。

○ではMITSURUさんにとって、ヒッチコック劇場を含め、音楽活動とはいかなるものですか。?

M:月並みですけど、ライフワークです。やっぱりやってて楽しいし、みんなとサザンでもっといっぱい遊んで楽しみたいよね。バンドをやっててすごく感じるのは、サザンファンの人たちが俺はMITSURUだった。僕らとかのライブを見ると、本当にサザンを見にきているかのように盛り上がってくれることですね。ある意味本物以上にサザンのライブっぽい雰囲気が会場を包んでいる。それってつまり、見ているほうも一生懸命なんだよね。サザンという音楽を通じて楽しみたいって思う気持ちは、ステージも客席も同じなの。ステージに立ってても、お客として見てても、そう簡単に自己満足で終わらせないのがサザンオールスターズの音楽の不思議な力だね。



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