WITNESS

目撃者の証言


ここでは、彼らのライブを実際に目撃した人たちからの貴重な証言をまとめてみた。

 若林まゆみ 
 ◆「ヒッチコック劇場」あぁ私のヒーリング 


 1998年、私は「鎌倉ヴィーナス」というライブハウスでパーティーを企画しました。この時高橋氏、鹿内氏、山田氏が参加する「東海オールスターズ」に出逢いました(パーティーのクライマックスのライヴに出演のお願いをしたのです)。
 パーティー中、機材のアクシデントが起こり、あわや中断か…とまっツァオになった私でしたが…ヴォーカルの高橋氏が見事なアドリブとトークで場を持たせてくれ、無事ライヴの再開ができました。おかげでライヴも大盛りあがりでパーティーが大成功を収めたのです。その後、「ヒッチコック劇場」の存在を知り、ビデオ等食い入るように観ていました。
 「トリオで演ってるシュールなバンド」。ギターがとにかく美味しくて、演奏も唄も安心して聴かせてもらえます。「耳慣れた曲」をオリジナルでアレンジしてくれるのが新鮮で「この曲を今回はどのように演奏し唄ってくれるのかしら…」とわくわく♪
 「ヒチ」のライヴはとってもスマート。ありのままって素敵です。
 ライヴのもうひとつの楽しみはMC。(MC=バンドのイメージでもあると思っています)MCが堂々としていて、すごく面白く、客を引きこんでくれます。
 「ヒチ」のあったかいところは、自分たちも楽しく演奏しながら、君たちもハッピーにしちゃうぜー!というミュージシャンなりの心くばりが伝わってくるところでありましょう。決してステージでハデなことやるわけでなし、媚び売るでもなし、お客さんを自然に引っ張っていってくれるので、こちら側も肩の力を抜いて思う存分ギターにひたれるのだと思います。
 MC(これは大事だと考えています私)、そう「ヒチ」のMCは「対お客」を意識してくれてなおかつユーモアたっぷりで、リラックスできるの。演奏+MCで「ヒチ」のお人柄ならぬバンド柄が伝わり、ライヴを観に来たほとんどがとても良い気分で家路につくのではないでしょうか。
 “ハンサムでチャーミングなバンド「ヒチ」”。その時どきのライヴの残像はしっかりといつまでも脳みそに焼きついて、消える事がありましぇん。たとえそれが「こたつライヴ」の残像であっても…。(こたつライヴ=一部のファンに流出したと思われるビデオ。「ヒチ」のプライベートを垣間見ることのできるレアコア、マル秘ライブの記録。その名の通りコタツを囲みながらもメンバーがしっかり演奏しているという優れもの。ファン必見!!)
「ヒチ」のビデオと共に私のお宝は、ライヴ用フライヤー(チラシ達)と、メンバーのサイン入りチケットです。ライブの案内に関しては眺めているだけでも楽しいデザインです。
 最後にリクエストをさせてちょうだいね。レイ・チャールズの「ジョージア オン マイ マインド」。
 「ヒチ」よ「ヒチ」。今度はいつ逢えるかな。
 はっとりこうじ
 ◆ バッタもんバンドよ、万歳!


 衝撃的な出会い。
どう表現して良いか、うまく言葉が見つからない。あえて、衝撃的とでもしておこう。
そう、それほどまでに彼らとの出会いは、印象に残る出来事だったのだ。
 1998年6月、我らがサザンはデビュー20周年を迎えた。各地で、様々なイベントが催されたものだ。
ここサザンの聖地、湘南のレストラン「ビーナス」でもファン主催のイベントが行われたのだが、そこで衝撃的な出会いがあった。
 彼らの名前は、「ヒッチコック劇場」。
一見ふざけた名前・・・いやいやそんなことを言っては桑田さんに失礼だ。
バチが当たってしまう。
名古屋から参加した3人組だ。この日は、フルメンバー6人組ということで、「東海オールスターズ」としての出演であったが、
「ヒッチコック劇場」の実力を充分に知ることができた。
とにかく、ガツンと脳天にやられた。とんでもないやつらだ。
 1999年春、サザンが「素敵な春の逢瀬」と称して、全国ツアーに出た。
そして、サザン名古屋公演の前日に、「ヒッチコック劇場」が地元でライブをやるという。
ぼくは、サザンは観ないが、「ヒッチコック劇場」を観るために名古屋へと車を走らせた。やはり、素敵なやつらだ。
 ここまでに原曲に忠実で、そしてオリジナリティを追求したサザンのバッタもんバンドは存在しないであろう。
バッタもん・・・、う〜ん、なんて良い響きなんだろう。
この言葉は、彼らのためにあるのだろうか。
以来、彼らとはケツの穴までも見せあう仲になってしまった。
 1999年末の神戸支部忘年会には、友情出演してもらい、神戸に感動と興奮の嵐を巻き起こしてくれた。
これからも彼らの「バッタもんバンド」としての快進撃とまでは言わないが、着実な歩みは続くであろう。
僕は、バッタもんバンドのいちファンとして暖かく見守っていきたい。
 嗚呼、バッタもんバンドよ、万歳!
 和田たかひろ 
 ◆ Memories of good days


 拝啓、どうも御無沙汰しております。まぁ、それぞれに色んな悩みを抱えながら元気にやってくれていればいうことはなし。
 それでもって、オレの方は地元・大磯のライブハウスの手伝いやら、そこを拠点に活動する「大磯FOLK村」の順序等で、てんやわんやしています(ちなみに私、村長です)。
 それじゃあ、本題に入りましょうか…。
 ヒッチコックの演奏を初めて観たのは充君が送ってくれた1本のビデオだった。3人とは前々から面識があって、「アコースティックでこんなこと演ってんだ」という話は聞いていたけれど、観てビックリ!オレ自身が演ってみたいと思っていたことを如何にも楽しそうにやってんだもん。あれを観たときは、いつも地元・湘南を誇りに思っている筈なのに、「あーあ、なんで名古屋に生れなかったんだろう。四六時中、一緒に演れるのにぃ…。」と思う程だった。
 それから互いに時間を作り、幾つかの音楽的交流を経て、99年3月8日、当時ヒッチコックがホームグラウンドにしていた名古屋は栄のライブハウス「ペッカー」にて、ヒッチコックとの共演に至った。まぁ、オレとしては全国的に有名なペッカーに出れたことも嬉しかったけれど、何よりも会う度に話していた「いつか名古屋で一緒に演ろう!!」を、こんなにも早く実現出来たことが嬉しかったなぁ…。あの時、本当はライブ中4曲共演する筈だったけれど、結局全部演っちゃった。
 そう言えば、あの時オレがタンバリンを叩く度にお客さんがクスクス笑うの。今になって思えば、技術的なものだって解るけれど当時それが解らなくて、ちょっと悔しくてさぁ。でもあれが、いい意味でトラウマになってる。だから、又これからもヒッチコックと演りたいということも踏まえて練習してるし。
 前に充君が言っていたけれどヒッチコックのコンセプトは「自分達が感激してきたことを人に伝えていきたい」ということらしい。前記したFOLK村も本当に全く同じコンセプトでやっている(まぁ、アコースティック音楽を中心とした倶楽部なんだけどね)。
 まぁ、ヒッチコックもオレも、仕事や生活の一環として音楽を続けている訳だから、出来るときは出来て、出来ない時は出来ないのだから、気長に一歩ずつ、1人でも多くの不特定多数の人達に、オレ達が感じてきたことを伝えていこう。
 本当に月並みなことしか書けないけれど、一日も早く大磯FOLK村に来てくれ!!
 また、名古屋にも行くから、ピカイチ連れてって!!




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