歴史と伝統に裏付けされた確かな技術で、それを生業とする職人。
豊富な経験と長年の鍛錬で、その道の真髄を体得した達人。
秀でた才能を持ち、優れた技芸を魅せる名人。
岐阜県下在住でひとつの業・技に秀でた方のもとを訪れて
そこでその技術を少しでも学ぶため、みつるは指導を受けます
ラストはみつる特製?「認定証」を進呈しております

3月30日
竹職人:堀田博門さん(58歳) 岐阜竹の店 HP

岐阜の土地柄なんでしょう、竹に関する職人さんがたくさんいらっしゃいます。堀田さんも祖父の代からの竹職人。竹で遊べる程の領域にまで達するという思いから「竹遊斎」という名前を継いで、3代目になります。京都でも修行をし、その師匠とは現在もなおお付き合いを重ねていらっしゃるとのこと。
竹材の素材の美しさを生かしながら作っていくという作品の数々は、素人には到底まねの出来ない仕上がりのものばかり。年季の入った小刀などの道具を駆使して、小さなものから、両手を広げたくらいの大きなものまで作っていきます。
使えば使うほど味が出る竹。プラスチック製品が世の中に出回ったことですっかりその役目を譲ってしまいましたが、それでもその温もりは竹にしかないもの。それが愛着となり、長く使ってもらえるようになる。実用から装飾まで多岐にわたり私たちの生活を豊かにしてくれる竹を操る職人であります。
「竹と遊べる豊かな心!竹のように真っ直ぐな心!」

3月23日
カクテルアーティスト:中垣繁幸さん(38歳) BAROSSA HP

岐阜・柳ヶ瀬にカクテルバーを営む中垣さん。「カクテル ダルティザン=カクテルの職人」と銘打ち、日々その技を研鑽しています。
修行時代は岐阜から東京まで通い、上田和男氏に師事。後に全国カクテルコンクールで優勝、カクテル職人としての道をひた歩んでいます。学生の頃にアルバイトで勤めたカフェバーで初めてシェイカーを持ち、はや20年。カクテルの出来栄えは「着地しているかどうか」で見極めるとのこと。
お父様の遺言で「夜の仕事は辞めなさい」と言われていたという中垣さん。お父様が亡くなられた年に、コンクール優勝を果たし、お父様に向けて「ごめんなさいという気持ちと、これを精一杯やらせてもらう」という誓いの気持ちを心に持ちました。常に最善を尽くし、昨日より今日のほうが美味しいものが出来るよう常に向上心を持ってシェイカーを振っています。
番組内では、オリジナルカクテルを作らせて頂きました!
オリジナルカクテル「BUN BUN」レシピ
sea gram's「seven crown」30ml フレッシュグレープフルーツ30ml
シェイク後、「7up」を加えて完成。
「氣の籠もった深い一杯を作る、カクテル職人!」

3月16日
枡職人:衣斐弘さん(60歳) 衣斐量器製作所HP

木曽ひのきを使い、香り・品質ともに妥協を許さない枡作りを行っている、衣斐量器製作所。昔は商売人のために作られ使われていた枡ですが、最近ではものをはかるための用途よりも、お酒を飲む、節分の豆を入れるなどの用途が多いようです。
木を削り、組み合わせ、ひとつの枡が出来上がります。木殺しという作業を行うことで、組み合わさった枡の間から水が漏れ出すこともありません。
昔は枡をひとつの単位として数えていました。木曽ひのきは、その香りなどから虫除けになるそうで、この枡を使って米を量るとよいのではないでしょうか。

3月16日
屋根職人:青山亨さん(30歳) 田中社寺株式会社HP

奈良平安時代の古代建築技法を今に伝え、国宝級の建造物の屋根葺き替え工事を行う、田中社寺。ここで若くして中堅職人として活躍する青山さんです。
屋根葺き師、屋根屋ともいうこの仕事、年間10人ほどが職人目指して田中社寺を訪れるのですが、そのほとんどの人が仕事の厳しさに辞めていってしまうそうです。ここでは、仕事はもちろんのこと、礼儀作法や日常生活の規律までしっかりと見られます。内側から磨かれてこそ良い仕事に繋がるということなのでしょう。
古き良き建造物が持つ、曲線美。誰から見ても、そして何より自分自身が100%満足できるような仕事が出来るように、毎日気を引き締めて仕事に取り組む青山さんです。

3月9日
湯葉職人:山田政雄さん 

創業慶応三年、美濃路をあゆむ老舗の味。岐阜で湯葉専門のお店、湯葉勇の5代目主人となる山田政雄さんは、初代から受け継がれる伝統的な製法を今でもしっかりと守っています。岐阜の綺麗な水と厳選された大豆で豆乳を作り、それを一定の温度で管理しながら、表面に出来た湯葉を見事な手さばきですくいあげます。昔は窯で火を起こしながらやっていたので温度管理は大変だったとか。
販売もしており、たくさんの料理職人がお店にやってきます。そんな方々にちゃんと喜んでもらえるように、自信を持って提供できる湯葉作りをしています。

3月9日
初生雛雌雄鑑定師:田口文夫さん(60歳) 

生まれて間もない雛の雌雄を判別する職人さんです。この道36年のベテラン。仕事は主に午前中を中心に行われるそうです。羽の形や色などで判別し、一羽の判別には3〜4秒、一日でおよそ1万〜1万2千羽を判別していくんだそうです!その正答率は99.8%ですからこれも驚きです。
機械化することができないこの作業。集中力と体力との闘いになります。50グラムを切る小さな雛を毎日手に取り、その軟らかさや温かさを感じながら仕事をするのが、田口さんにとっての喜びです。
チームで仕事をするので、健康管理にはもっぱら注意をしています。洗練されたチームワークで、忙しい毎日を過ごしています。

3月2日
楽器職人:岡崎健さん(32歳) 岡崎楽器設計事務所HP

未来の職人ここにあり。ギターやカフォンなどの楽器を、デザインから製作まで一連で手がける、岡崎健さん。「昔からとにかく『音』が好き」で、束縛されない発想で音の出るものを生み出します。岡崎さん考案「アコギター」や「カカカフォン」もそうです。
岡崎さんのもとに届く注文も、一風変わったものが多いとか。とにかく音を楽しむためには、固定観念はいらない。「形のこだわりを持つ」のではなく、「自分のこだわりを持たず、お客さんの望むものをいかに再現できるかがこだわり」と言い切ります。独自のアプローチで、今後もこの設計事務所から、様々な音が生まれるのでしょう。

3月2日
菊花石研磨師:小沢睦さん(61歳) 根尾谷観石園HP

岐阜県の郷土工芸品として指定されている、菊花石(きっかせき)。本巣の一部地域で採れる玄武岩の中に含まれている、放射状に発達したアラゴナイト(アラレ石)の結晶を、一定方向から削りだすことで、見事なまでの菊模様が浮かび上がります。小さいものは手のひらサイズ、大きくなると1メートルのものがあるとのこと。
その玄武岩の母岩から、アラゴナイトの埋まり具合を予測しながら、慎重に削る作業は、熟練した研磨師の仕事です。
根尾谷観石園を営む小沢さんは2代目。現在は3代目となる息子さんと共にこの店を経営しています。息子さんの技術も「しっかりしとる」とお父さん。2億年近く前の石が現代に花開きます。

2月23日
音の魔術師:服部幸司さん(59歳)

「人のやらないことをやりたい」そんな発想から、オリジナルの楽器作りを始めた服部さん。その材料も人とは違います。人参やネギ、ちくわなどが、服部さんの手にかかればすべて楽器になってしまいます。手始めにちくわで演奏してくださいました。甲高く、でも軟らかい音色が何とも不思議です。
人参の笛は、トランペットの要領で音階を奏でます。なんとも器用に操る服部さんの姿はとても滑稽で面白いです。このほかにも、のこぎりで演奏したり、物語を語りながらその効果音をつけたり。エンターテイメント精神溢れる服部さんのステージを一度見てみたいものです。

2月16日
焼き物職人:伊藤満さん(65歳)

小さい頃から、泥や土で遊んで土器などを作っていたという伊藤さん。そんな子供の頃の気持ちを今でも忘れず、学校の先生などを経て現在はこの工房で自らの作品を手がけています。人間も何でも土に返る、だから土と触れ合い感じることで、楽しさが生まれてくるんです。
中学校の卒業記念にと、湯飲みをプレゼント。そんな優しい気持ちも伊藤さんの自然な発想なんです。
最近は犬の焼き物に凝っていて。リアルなものを作っていますが、今後はさらに自分のオリジナリティを出した、ディフォルメした作品も作っていきたいと、前向きな伊藤さんです。
「”みつる”って、子供の心を持った大人なんだなぁ!」

2月9日
提灯職人:鈴村昭夫さん(56歳) 岐阜提灯 株式会社オゼキHP

岐阜においても大変歴史の古い「岐阜提灯」。こちら株式会社オゼキには、通産大臣指定伝統的工芸品であるこの岐阜提灯を作る、伝統工芸士がいらっしゃいます。この道40年のベテラン鈴村さんです。
幾つかの過程を経て完成する提灯なのですが、その中でも難しいのが、ひご巻きという作業です。らせん状にひごを巻いていくのですが、力加減が強すぎても突っ張ってしまうし、ゆるくても外れてしまう。そんな細かな力加減も、鈴村さんにかかれば手際よくできてしまうのです。
忙しい日々の中で、提灯の発するほのかな光が、人の心に安らぎを与えて、落ち着きが得られるようになるように願いを込めて提灯を作り続けています。
「ひご巻いて 曾孫の代まで 継がれし提灯よ」

2月2日
靴職人:大沢安則さん(36歳) OOSAWA工房HP

元々は美容師で、クセ毛を直す専門の仕事をしていた大沢さん。髪だけ直すのでなく、もっと視野を拡げたい。そこで行き着いたのが「靴」。例えば外反母趾とか、その人に合っていない靴を履くことで体を害することがあるので、それならその人ひとりひとりに合った靴を作ろう!と思い、「OOSAWA工房」を開きました。
店の扉や窓、棚などは自分で手作り。すべて自分で作るというのが、大沢さんのポリシーなんです。オーダーを受け、その人の気持ちになって、その人が望むものをきちんと作る、それが職人としての腕の見せ所です。
将来的には、整形靴など医療方面でのニーズにも応えられるものを作っていきたいと思っています。
「人の心をしっかり見つめて、ぴったりの靴を作ります!」

1月26日
伝統菓子・志古羅ん作り職人:高橋勝一さん

笠松町に伝わる歴史あるお菓子「志古羅ん」。この菓子は戦国時代、豊臣秀吉閤にう献上したところ、とても気に入って、「兜の錣(しころ)に似た、蘭の香りのする菓子」というところから、志古羅んと名付けられました。もち米、砂糖、水あめ、その他ニッキなどで作られます。
志子羅ん作りの難しいところは、火加減。強いと焦げてしまい、弱いと思い通りの味にならない。炭火を使用するため、その調節はとても難しいそうです。
この450年以上も続く歴史と伝統を、高橋勝一さんは受け継ぎました。そこに光るものは「家族の協力」。息子さんのお嫁さんである真妃子さんと共に、昔から変わらない味と製法を大切に守っています。

1月26日
豆腐職人:服部直一さん

羽島市竹鼻の商店街にある、創業120年の豆腐屋「豆腐直(とふなお)」。初代から貫くポリシーは「手作り」「健康に役立つ」です。
保存料を使用すれば日もちします。しかしそれをしません。体に入るものを作る責任として、決して体への気遣いを忘れません。
そんな4代目ご主人直一さんは、詩吟の名手でもあります。なんと准師範!声を出すことも健康作りの一つだと考えています。

1月19日
円空彫り名人:山田勝美さん(74歳)

新幹線岐阜羽島駅前にそびえ立つ、巨大な円空彫り。これを手掛けたのが、羽島に住む山田勝美さんです。まるで自らを投影するかのように円空彫りをする山田さんの姿は、とても熱いものを感じます。円空彫りに魅せられ「自らの
生きた証として」作品を作りつづけます。
最近では小刀を上手に使える子どもはどれ位いるのでしょうか。最初は何でもうまくはいかないもの、でもそれを乗り越えて上達できるかは自分次第。山田さんの好きな言葉「為せば成る為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」それを実践していらっしゃいます。
「円空彫りを通じて、全てを成し得た方です!」

1月12日
糸つむぎの名人:玉田としこさん

ウールが好きでウール織りをやっていましたが、ついには原材料である「糸」にまでこだわり始めました。そして糸つむぎがやりたくて、本場ニュージーランドに留学したのが今から20年以上前のこと。そして現在では、家にニュージーランド製の糸つむぎ機を備え、自ら糸をつむぎ、作品を作り上げます。
毛をより合わせて出来ていく糸。自分好みの糸を作ることができます。その可能性は無限大。糸車を回すごとに、無限の可能性を秘めた糸が出来ていきます。
「羊さん、ありがとう!」

1月5日
竹の透かし彫り職人:山田鉄華さん(63歳)

おそらく世界で唯一人。竹の透かし彫り職人の山田鉄華さん。元々は木彫りからスタートし、初代加納鉄哉、二代目市川鉄琅、そしてその三代目として活躍されています。
外側から竹を彫り進め、それに光を当て込み、窓を開けた竹を内側から覗くと、何とも不思議なオレンジ色の光を放ちながらその絵が浮かび上がってくるではないですか!どういう原理でこの色が出るのかは、分かりません。しかしそのぼんやりと浮かび上がる絵は、如何とも表現しがたい力強さを具えています。
この作品をみて「ほっとして欲しい」と、山田さんは仰いました。
「まさに竹一重!透かしの向こうに見える、安らぎの光。」

12月29日
パン職人:木芳継さん

創業昭和21年、世代を超えたファンを持つサカエパン。名物のあんぱんをはじめ、常に50種類近くのパンを出しています。お昼時やおやつ時、また晩御飯前くらいの時間は特に大混雑!店内入って2歩歩けばケースにぶつかるくらいの、決して広いことのない店の中は、いつもお客さんでいっぱいです。
3代目になる木芳継さんは、名物あんぱんの味を決めている方。ぎっしりあんの詰まった「あんぱんちゃん」は、ずっしりと重みがあります。甘さも程ほどで、とってもおいしい!これで一個90円ですから、安い!!

12月29日
かしわ名人:小木曽英昭さん(62歳)

鶏肉専門店「鳥善」を営む小木曽さん。ムネ・モモ・ササミ・ミンチ・キモ等、鶏肉のあらゆるものを専門で扱っています。鶏だけ、っていうのが珍しいですよね。
店を開いてからこの道40年。喜怒哀楽いろいろあったけど、続けてこれたのは、着いて来てくれた「妻がいたから」。今日があるのも、素晴らしい伴侶のおかげと、御主人ははっきりおっしゃってくださいました。
また家族の支えも、もちろんのこと。いつも「ありがとう」の気持ちを大切にしながら今日も仕事に励みます。

12月22日
白川茶手もみ名人:小池彼男さん

お茶を栽培するのに適した気候と立地条件を持つ、白川町。ここのお茶は全国でも有名です。お茶を仕上げるにあたり、現在は機械での作業が主流なのですが、「どうしたらよりよいお茶を仕上げることができるのか」それを知るには、自らの「手で揉む」ことが大切。日々勉強の小池さんは、そんな白川茶を知り尽くした方です。
簡単そうに見える「揉む」という作業は、うまくやらなければ茶葉を潰してしまいかねない。そうするともう商品になりません。手で揉み、茶葉をゆっくり巻いていくのは、かなりの熟練を要しました。。
「人の手に包まれて生まれる、本当にありがたい一杯。」

12月15日
油紙・のぼり鯉職人:河合良信さん(82歳)

金華山のふもとに位置する、小原屋商店。お城の御用商人として仕え、油紙は当時、火縄銃や長刀、槍などを包む紙として重宝されました。時代は進み、ビニールの登場で油紙は衰退の一途を辿ります。代々油紙職人としての道を進んできた小原屋商店、その御主人河合さんは、「油紙には、ビニールにない通気性を持っている」と仰います。
のぼり鯉は、油紙の素材の和紙を使って作られます。代々職人として育ってきた河合さん、もちろん教えてもらったのではなく、すべて見て覚えていきました。とても張りのある声で元気な河合さんは、近所の子供達にも親しまれる方でした。
「のぼり鯉に勢い込める、その源はここにあり!」

12月8日
ステンドグラス名人:渡邊頼正さん(60歳)

一部の余裕のある人だけが楽しめる、そんなイメージを覆して、なるべくハードルを低く窓口を広く、多くの人にステンドグラスを楽しんでもらいたいと願う、渡邊さん。いまから20年ほど前にこのステンドグラスに出会い、岐阜から静岡の師匠の所に通ったこともあるほどに夢中になっていました。ティファニーランプの美しい色合いやデザインに引かれて、今もなお精力的にたくさんの作品を手がける傍ら、指導もしていらっしゃいます。
仕上がった作品に灯りをともす瞬間が、ドキドキもするし嬉しくもある。根気よく地道に作った作品に命が宿る瞬間ですもんね。
「千里の道も一歩から。そして完成すれば十人十色!」

12月1日
飴職人:柴田忠夫さん(73歳)・柴田幸芳さん(38歳)

昭和6年創業。終戦後に現在の場所にて工場を設け、今もなお当時の道具を用いて飴作りに家族みんなで励んでいらっしゃいます。鍋や鉄板、そして飴の形にくりぬく機械なども、昔ながらのものが現役で使われているのです。大きな鍋の中で沸騰している飴。程よい温度や煮加減も、長年の経験から判断するしかなく、2代目の忠夫さん、3代目の幸芳さんでしか分かりません。
大きな工場では決して出来ないものを、しっかり作りたいというモットーの柴田飴本舗。誠意を込めて、心を込めて作り続けること。家族でやっているよさも、飴の味になってくるような気がしました。
「作り手の心が、口の中で優しくとける。」

11月24日
木工家:永田篤史さん(30歳) 工房「楔」 HP

「木の生きてきた過程をそのまま作品にしたい」そんな思いで作品作りに取り掛かる木工家の、永田篤史さん。様々な材料を求めて、日本中はもちろん、世界へも飛んでいきます。
たとえ節があっても、たとえ瘤があっても、それは木の個性。「出来の悪い子ほど可愛く感じてしまう」と永田さん。その個性をどう生かしてあげるかを考えた永田さんの作品は、独特な味わいを持っています。木と人の間に立つ仕事をしたくて、工房の名前も「木と交わす契り=楔(せつ)」と名付けられています。
芸術品も素晴らしいですが、なるべくなら普段使ってもらえるものを作りたいとの思いで、家具や食器、ボールペンなど、身近なものを作り続けます。
「ひとつひとつの個性を引き出す、木と固い契りを交わした男!」

11月17日
和菓子職人:豊田文男さん(62歳) 玉井屋本舗 HP

岐阜県内では、鮎菓子でも有名な玉井屋本舗。ここに創業以来の伝統を守る職人さんが大勢いらっしゃいます。その中でも、全体を取り仕切る工場長、豊田さん。この道47年です。
この仕事を始めたばかりの若い頃は修行時代で、まだお菓子作りをさせてもらえず、配達が中心だったそうです。そして数年後、初めてお菓子作りをさせてもらえたときは、とにかく嬉しかったとか。そのときの気持ちは今でも忘れていません。
季節の風合いを大切にする和菓子。季節感をいつでも感じられるように、豊田さんは常にアンテナを高く張っています。皆さんに喜んでもらえる、見て・食べて美味しい和菓子作りの毎日です。

11月17日
印鑑職人:坂脩さん 長良印房HP

手彫りの印鑑を作りづつけて、早50余年。今は機械で簡単に作られてしまうものですが、手作りのよさを追求し続けています。
細かいものでは、1mm以下の文字間隔のものを、指先の鋭い感覚だけを頼りにしながら、彫刻刀で少しずつ掘り進んでいきます。完成する楽しみがあり、何年後にもまだ自分の彫った印を使い続けてくれる人がいたら、それが喜びなのだそうです。
坂さんと、息子さんで、その手彫りの伝統を守り続けています。自分ならでわの味わいを、直径1cmに込めて、今日も彫り続けます。

11月10日
欄間職人:渡辺敏昭さん(67歳) らんまの大橋HP

昔ながらの一軒家には、襖があり障子があり、そして欄間がありました。この道49年の職人・渡辺さんは、そんな日本のよき伝統文化を今でも大切に残したいと、かたくなに手作りを続ける職人です。
欄間作りはお客さんの注文を聞いて、デザインから始まります。欄間職人は、作る技術だけでなく、デザイン力も問われます。龍などの架空の生き物、歴史絵巻など、欄間のデザインの素材は多岐に渡り、幅広い知識も必要となります。それだけに、非常に大変な仕事でしょう。
300年前の仏具が渡辺さんのもとに届いたとき、こうおっしゃいました。「ものの価値は人それぞれかもしれないが、ここには300年前の職人の心が宿っている」と。昔ながらの欄間のあるような家や家族は、最近は減ってきているのでしょうか。
「この欄間、豪華絢爛、ほら見てごらん、一家団欒。」

11月3日
柳行李職人:松野好成さん(70歳)

平成4年に岐阜県郷土工芸品に指定された、穂積の柳行李。いまでも手づくりでこの柳行李を作っている職人が、瑞穂市にいらっしゃいます。この地区は、行李作りに適した柳が手に入り、古くから柳行李作りが盛んだったそうです。元は副業で始めたこの仕事が本業になり、松野さんは3代目。そして、後継者は、いません。
全て一人で手作業のため生産量もわずか。通気性の良い柳行李は、着物など大切な衣類をしまうのに適しています。現在でも毎年、兵庫・宝塚歌劇団から、決まった数の注文があるといいます。
これまで数々の勲章も受章してる松野さん、生産ペースは低くなっても、長持ちする柳行李を末永く作り続ける気持ちはしっかりと持っていらっしゃいます。
「大切な着物は、柳行李にしまって、そのままずっと大切に!」

10月27日
包丁研ぎ名人:松並孝夫さん(63歳)

どの家庭の台所にも必ずと言っていいほどある、包丁。切れ味が悪いまま使っているという人も多いのでは?研ぎたくても砥石がない、研ぎ方がわからない、なんて人はいませんか?刃物に携わり40年という松並さん。刃物については、どんな質問にも即座に答えてくださいます。
包丁を研ぐ目安として、ネギやトマトを切ったとき、ネギが繋がってしまう、トマトが潰れてしまう、こうなったら包丁を砥いでほしいと松並さんはおっしゃいます。
10度の角度を守り、適度な力を入れて砥石の上を滑らすと、瞬く間に切れ味鋭い包丁に生まれ変わります。大切に使えば、20年30年も使えるんですって。
「刃(は)〜、すごいね!」

10月20日
皮革工芸品職人:松下一登さん  クラフトエマHP

元来からの革ジャン好きが高じて、自分でレザーを使った品を作ってみようと思ったのが、およそ30年前。以来、バッグ・財布・キーケース・ブックカバーなど数々の作品を作ってきました。
飾るデザインも、松下さん自身で行ないます。かわいい猫のイラストや、まるで物語のワンシーンを思わせるようなメルヘンなものまで、その種類も多様です。
街で自分の作った製品を持っている人を見かけたりすると、とても嬉しくなります。使えば使うほど、艶が出て風合いがよくなる。その人それぞれの使い方が味わいとなって表れる。そんなレザーの魅力を、より多くの人に感じて欲しくて、奥様の敬子さんとともに今日も作品を生み出しています。
「時が経つほど、味わい深くなる。皮のように味のある方です」

10月13日
テルミン奏者:飛里京子さん  飛里京子 〜時を越えて〜

1920年、ロシアの物理学者レフ・セルゲイヴィッチ・テルミン博士が考案した、世界で最初の電子楽器と言われています。ジミーペイジの演奏でも有名なこの楽器、その音色は、チェロのように伸びやかで、女性の声のように繊細とも取れます。
飛里さんは5年前、テレビでテルミンの演奏を見て衝撃を受け、その後も自らの足でテルミンを探し、テルミンの師匠に付き、その後はひたすら練習を重ね、現在は演奏家であり講師も勤めます。作曲も手がけ、テルミンのオリジナル曲もあります。
演奏を通じて、多くの方にテルミンという楽器を知って欲しいという飛里さんです。その滑らかで美しい旋律は、観客の心にストレートに届き、演奏会では涙を浮かべながら聞いている方もよく見かけるそうですよ。
「心に響くその音色、手をかざすだけで伝わる、温もりですね。」

10月6日
裂き織り名人:成戸靖子さん

テレビでやっているのを見たのがきっかけで始めてから10年、すべて独学で覚えたという裂き織りの技。自宅にはなんと2台の機織り機があるのです。わざわざ取り寄せて、自宅で家族とともに組み立てたんだって!
成戸さんが作る裂き織りの作品は、赤やオレンジなど明るい色がとても多いです。赤は元々好きな色だそうで、自然と取り入れてしまうとのこと。
自分でつくった作品は、是非大切に使ってくれる方の手に渡って欲しいと、成戸さんは願っています。近いうちに、4歳のお孫さんの服も作ってあげたいそうですよ。
「家族の協力があって、いまでもこうして続けられてます!」

9月22日
神仏具職人:福井重光さん(63歳)   福井神仏具製造所HP

御神輿や神棚、仏壇などを製作・修復する職人です。こちらの福井さんは、全国にある国宝級・文化財級の神仏具の製作や修復に携わっていらっしゃいます。この道48年、とてもお元気で張りのある声で語ってくださいます。
明治時代から家にあるという、足踏み式の糸のこぎりは、今ももちろん現役!これでないと刃を運ぶ速度調節が出来ないと言います。刃は1ミリ程度で、細かい作業もこれを使って行ないます。
その他道具は300を越えます。すべて受注生産ということで、ひとつとして同じものを作ることがないので、それに伴って道具もたくさん必要なのです。
「卓越した技は、すでに神か仏の領域に!」

9月8日
ミニきもの名人:山茂すみ子さん(70歳) 

日本の伝統的な服、着物。和服のよさを今の時代でも忘れないように、伝えていきたいと、山茂さんは日々活動をしています。
着なくなってタンスの奥にしまいっぱなしの着物は、部屋に飾るにも大きすぎます。これを何とかして部屋に飾りたいと、ミニ着物作りを始めました。材料は、その着なくなった和服です。元々すべて手縫いで出来ている和服は、どれも基本的な作り方は同じなんです。それがミニ着物になっても同じこと。手順もまったく同じで、サイズが小さくなっただけ。高さ40cm程、見事なミニ着物が作られていきます。物を大切にする気持ちが表れるようですね。
「サイズは小さく、でも思い出はそのままに。」

9月1日
大桑竹細工職人:佐藤金一さん(85歳)

この道70年になる竹細工職人。大桑の竹細工は岐阜県の郷土工芸品のひとつに指定されています。昭和30年頃までは数十人の職人がいたそうですが、現在は佐藤さんしかいません。
元々農家の生まれで、竹細工は副業として始めた。「手に職を持て」という、佐藤さんのお父さんの言葉を受け、日々努力に努力を重ね、修行してきました。
竹は体にいい、と佐藤さん。竹を裂く際に、口に竹をくわえて、引っ張ります。「竹の成分が体にいいんだろうな。竹細工職人は、みんな長生きしとる」と元気のいいお声で答えてくださいました。
「長生きの秘訣が竹なら、これからも仕事続けてくださいね!」

8月18日
木目込み人形名人:下野眞澄さん(78歳)

戦後間もなくは娯楽もなく、暗く辛い青春時代を過ごしたと言う下野さん。育児も終わってようやく時間とお金に余裕が出来てきた頃にちょうど出会ったのが、木目込み人形でした。出会って35年、ここまで続くとは最初は思わなかったそうです。
何もかもがやりたいと思い、他にもとき絵や絵画、クラフトなど幅広く活動をしていらっしゃいます。
桐の粉を固めて型にしたものに、溝を掘り、そこに布を木目込んでいきます。布が半端に余らないように、注意しながら行なうのがとっても難しい。気を遣う作業の連続です!
「きめこみゃやかな、作業だわ!」

8月4日
下駄職人:打田茂夫さん(75歳)

下駄と浴衣が似合う町、岐阜市美殿町。昔は当たり前の履物だった下駄も、今は靴に押されて利用する人もめっきり少なくなりました。ここ小川屋本舗で修行し、現在もなお下駄の鼻緒職人として仕事を続ける打田さん。
鼻緒のすげ方は、ここ小川屋の初代でアル菊太郎さんが発案したものだそうで、ここで修行するものは皆、このすげ方で仕事を覚えていくのだそうだ。
昔は200軒余りも、この近所に下駄屋があったそうだが、今となっては5〜6軒まで減っている。でもせめて夏の間でも、下駄のよさを改めて感じて欲しいものですね。
「足元に、キラリ光る技。おしゃれは足元から!」

7月28日
美濃和紙職人:市原達雄さん(73歳)

美濃市の伝統工芸品となっている、美濃和紙。手作りの良さを今もなお追及し続ける市原さん。こちらでは、今では美濃市唯一という「落水紙」を作っています。紙漉きしたものの上に、網状になった模様の型をセットし、その上から水をシャワー状に吹き落とします。型の下にある紙は、水の当たるところと当たらないところができ、それが模様となって浮かび上がるのです。レースのような、均一な美しい模様が特徴です。
現在は後継者がいないので、市原さんが頑張っていらっしゃいます。いいものを作り続ける気持ちと、笑顔で楽しく仕事をすることをいつも心がけているそうです。
「漉きこそ、ものの上質なれ!」

7月21日
郡上びく職人:嶋数男さん(85歳)

郡上市の街中で、竹とともに生きる職人さんがいらっしゃいました。嶋工房・嶋数男さん。市の重要無形文化財に指定され、今では郡上びくを作る職人は、嶋さん唯一人となってしまいました。
竹林から竹を自ら取ってきて、1からすべて嶋さんの手によって作られていきます。底の部分が一番難しいとか。全く機械を使わず、手で編んでいきます。その手作りの素朴さ、そして仕上がりの素晴らしさから、全国にファンを持っています。粘りのある竹を使用して、長く使えるいいびくを作るのが嶋さんの心得。
「素晴らしいびくの仕上がりです!」

7月14日
のぼり職人:吉田稔さん(66歳)

大相撲の会場に行くと、そこに大きくそびえ立つ、のぼり。力士の名前や部屋の名前で存在感を出す、そののぼりを作る職人が岐阜にいらっしゃいます。吉田旗店は相撲協会指定の会社で、その仕事ぶりも驚きのものがあります。昔から変わらない、機械に頼らない完全手書き・手作り。文字数や字形に合わせて一文字ずつ細かく計算して書いていく職人技。50年近くになるそのキャリアがモノをいう仕事振りでした。
そんな吉田さんの夢は、職人が安心して働ける環境を作っていくこと。いい職人を育てるためには時間が必要で、職人としての根気をきちんと育て上げることの出来るような、労働に関する、法整備も含めた世間の認識も、作り上げて行きたいという思いがあります。
「満足御礼!」

7月7日
木地師:小椋幸治さん 小椋製盆所HP

昭和33年、小椋幸治さんの祖父が現在の場所に創設。木地師として代々その技と精神を受け継いでいます。上質の木を選ぶ眼力を持ち、「良い素材無くして良質製品あらず」の精神で、頑なにいいものを作り続けます。
木を見て、どんな形のものが作れるか。しっかり考えてから木に手を加えていきます。ろくろ技法といって、軸に固定した木を回転させて、ノミを当てて削りだしていきます。今回は、同じく職人の山本さんからご指導を頂き、技の伝授を行ないました。ものすごく気をつかう作業。少しでも油断すると、刃を木の回転に取られて怪我をしてしまうからです。
「ろくろの苦労に向こう側、丸い笑顔があり!」

6月30日
岐阜うちわ職人:住井一成さん(43歳)  住井冨次郎商店HP

岐阜・長良川の鵜飼い船乗場のすぐそばに、昔から続く「岐阜うちわ」職人の店があります。作り方も、考え方も、昔から一貫しています。住井一成さんは4代目となる職人。先代から受け継がれる製法を守り、少量良質主義で毎日こつこつと、岐阜うちわを作り続けています。
黄・オレンジ・赤・グリーン・紫、この5色が基本となる岐阜うちわ。岐阜の夏を彩る風物詩のひとつとも言えます。
道具も昔ながらのものばかり。これらを使うからこそ、大量生産のものには出せない味わいが、うちわに表れてくるんですよね。
「今日も、いい風吹いてます。」

6月23日
竹細工名人:牛ノ濱実俊さん(65歳)

竹細工に目覚めて、今はひたすら竹に向かって作品作りに取り組んでいます。面白さを知ったのは、バランストンボを作った頃から。いかに自分で上手に作るか、それを発見するまでのプロセスが、大変だけど面白い。
鉄工所で働いていた経験から、竹も鉄も要領は同じとのこと。また加工しにくい薄い竹の作業も、ちょっとしたアイデアでいとも簡単に作り上げてしまう。これも鉄工所の経験が生かされているんだとか。
こういった数々の発見を、これからもしていきたい牛ノ濱さんです。
「竹も鉄も基本は同じ!」

6月16日
建具職人:丹羽義朗さん(65歳)  

この道50年、襖・障子などの建具を独自の手法で作り続ける建具職人の丹羽さんです。作られるものはどれも独創的で、和の趣を大切にしながら、それでいて一風変わった、でも飽きのこないデザインを作り上げます。平成14年には、現代の名工にも選ばれました。
木を一目見て、その個性をすぐ見極めることの出来る眼力は、職人としての経験が育てたもの。建具の技術を生かして、お盆やつい立ても素晴らしいものを作り上げます。木を知り尽くしてます。
「木が輝いているぞ!」

6月9日
習字の達人:喬 朱霞さん(59歳)

小学校3年生まで、習字をならっていたみつる。イヤでイヤでしょうがなくて、やめてしまったのです。本格的に筆を持つのはそれ以来。今回は習字の達人に業を伝授していただきました。
子供から大人まで多くの方を指導する喬先生。先生を育てる先生として、日々忙しい毎日を送っていらっしゃいます。「筆を持っても堅くならず、常にリラックスして自由な発想で筆を滑らせる」というのが、喬先生の教え方。
下の写真、書いた字を比べてみてもわかるとおり、みつるの字は堅い!先生の字は、大きく動いている。すごい。
「嬉!」

6月2日
ちりめん細工名人:山川ますへさん(81歳)

世の中には、捨ててしまうものが多すぎる。そんなものから、色んな芸術が生まれる。山川さんの手にかかれば、あっという間に!
元気いっぱいの山川さん、お話しすることも大好き。ひとつ質問すると、何倍にもなって返してくれます。
食べ終わったあとの紙製ヨーグルトの容器を使用すれば、瞬く間に人形へと生まれ変わらせてくれました。
ツルツルとして厚みの在る手から、色んな作品が生まれてくるんですね。
「どんなものでも芸術になってしまうんですね!!」

4月28日
ペーパークラフト達人:国枝英男さん(63歳)

身近な素材、紙。これを使って、無限の世界を創り出す人が大垣にいらっしゃる。造形作家の国枝英男さん。
元々はグラフィックデザイナーで、そのプロセスの中のひとつに、ペーパークラフトがありました。現在は中部学院大学にて講師を務める傍ら、作品制作・ペーパークラフト教室などを行なっています。
2次元の紙が、国枝さんの鋏捌きによって4次元の世界に。これはまさに神技ならぬ“紙技”であります。「いま流行の、脳の活性化にも繋がる」という国枝さん。立体の完成図を頭の中で作ってしまうのです。出来上がった作品は、まるで飛び出す絵本のように、紙が飛び出してきます。すごい!
「まさに紙技!思わず目が飛び出しちゃいました!!」

4月21日
和傘・張り職人:伴 清吉さん(90歳)

ここは岐阜市加納。全国的にも有名な、和傘の産地。かつては全国に多くの和傘を送り出していましたが、現在は職人の数の減少により、年間生産数も減っているとのこと。
今では残り僅かとなった傘職人の方々が、ここ加納で傘作りに励んでいます。その作業は分担制で、一人の職人がひとつの作業を行い、次の工程の職人に受け渡すというシステム。この道75年のベテラン伴さんは、和傘作りでも重要な、傘の紙を張る、張り師。慣れた手つきでどんどんと張って行きますが、実はとても難しい作業なんです。
それにしても90歳の伴さん、とても元気なお声をしていらっしゃいます。
「“張り”のあるそのお声、素晴らしい!」

4月14日
創作竹工芸名人:岡本定男さん(87歳)

自宅の2階にある、アトリエ兼工房。竹に命を吹き込んで、あらゆるものを作り出します。まだ始めて10年足らず、でもその腕前はまさに名人です。
きっかけは、当時4歳だったお孫さんが言った「おじいちゃん、ちょうちょ作って」の一言でした。
そこから始まり、今は竹工芸に生きがいを感じて、創作活動に励んでいます。蝶の作品を中心に、その他の昆虫なども数多く作っています。
お孫さんによって、自分自身の生きがいを見つけることができました。
「お孫さんにもよろしくお伝えください。」

4月7日
ギター職人:道前暁伸さん(29歳)  Yairi Guitar ホームページ

岐阜県可児市にある、世界に誇るギター工房「ヤイリギター」。みつるも大変お世話になっています。
みつるの愛器・ノクターンを製作したのがこの方、ヤイリギターのミッチーこと(?)道前暁伸さん。29歳とまだお若いのですが、その腕前は確かなものです。
「夜でも部屋で爪弾くことの出来るようなギターを」と生まれたノクターン(夜想曲)は、そのコンセプトの通り、自分に対して音がよく聞こえるようにサウンドホールの位置が上の方につけられているのです。
この僕のクターン、最近音のビビリがあったので、調整をしてもらいました。すぐに原因を突き止めて直してくれるところも職人技。
このノクターンのボディ横の飾りつけの仕事をさせて頂きました。接着剤が乾かないうちにどんどん作業をしなければいけないわけで、それが大変。当然ですが、すぐに出来るようなものではありませんでした。
アーティストの影で支える職人。
「あなたこそ、スポットライトを浴びる人だわぁ〜」



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